《花恋03》『花束みたいな恋をした』2回目を観た感想。確信と感嘆(もう観た人向け)

こちらはnoteに2021/02/24に投稿した記事のアーカイブです。
瀧波ユカリ 2021.02.24
誰でも

さて。

先週の金曜日に1回目を観てからこの映画のことしか話せない妖怪になり、Clubhouseで映画の感想を話したり聞いたりしつつ、パンフレットや他の人の考察テキストなどには触れない状態で想像を膨らませてこの映画のことを考え続けて6日目。自分の感じたことはほぼ固まり、文字に落とし込むこともできたので「そろそろいいか」ってなわけで朝一番の回に駆け込み、2回目をキメてきました。

開始3分でもう、はっとしたよね。

だって麦くん、

「恋愛は、ひとりに、ひとつ!」

って言ってるんだもん!(一個、だったかもしれない)

別れたカップルそれぞれが語る「別れた理由」がちがうように、または映画を観た鑑賞者それぞれが語るふたりの恋のストーリーがちがうように、私たちが「花束」と言われて思い浮かべるイメージがちがうように、

それは、ひとりにひとつ。

この映画のテーマはこれだ、ということを、麦くんが開始3分くらいでもう言っちゃってくれてるじゃないか!

初見ではさすがに気付けなかったので、震えましたわ。心の中で「うわああああああああーーーーーっっっ!!!」ってツイートしましたわ。

そのあとの流れがまた、改めて見るとすごく丁寧で。

初見の時は、終電のあとの押井守のあとの居酒屋で、麦が卯内さんと話しているだけで絹がうそをついてまでその場から逃げ出した理由がよくわからなかったんだけど、2回目では腑に落ちました。それは、天竺鼠のライブを逃した日の焼き肉デートのあとに男の人を他の女の人に持っていかれてすごく嫌な思いをした経験があるからなんだって。(いやこれは初見でも全然気付けることだけど。私は初見ではそのへんぼんやり観てた)

麦の部屋でガスタンク映画を観てる途中で絹が寝てしまって、1時間経って起きて帰るって言った時に「絶対嫌われたと思った」という麦のモノローグの意味は、麦もそれなりに自分の趣味とかがまわりに受け入れてもらえなかった経験をしてきたからなのかもな、とか。

そういった心の動きの裏付けだったり、どういう経験をしてきたのかをにおわせる一言だったりを、2回目だとふいに拾えるのが楽しいですね。

それと、改めて感じ入ったのは「じゃあ」「そうだね」の意味。

麦は

「じゃあ行くよ」「じゃあ面倒くさいって顔しない」「じゃあ結婚しようよ」

など、じゃあ返しを多用して絹の意見を跳ね返す「逆襲のジャア」。1回目はそんな麦を観て「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」と私は思っていたわけなのですが、2回目では新たに、もうひとつの「じゃあ」の存在に気がつきました。

それは、

「じゃあ、一緒に住もうよ」

なんと、同棲のきっかけの言葉も「じゃあ」で始めていたんです。でもこの時の「じゃあ」は逆襲のジャアではなく、純粋に提案のジャア。

逆襲のジャアになる前は、こんな素敵な「じゃあ」を言っていたのか…と、胸が痛みました。

そして、「そうだね」。こちらは、絹の言葉。とても柔らかい言い方で「そうだね」って絹は言うし、実際に麦の言うことを一度肯定の形で受け止めているんです。

でも、絹が「そうだね」って言う時こそ、受け止めきれない時なのでは?と2回目の時により強く思えて、すごく切なくなりました。

相手の言うことを受け止めて、自分でもそれを一度肯定的に眺めようとするための「そうだね」ってお子ちゃまには絶対に使えないし、絹はやはりそれなりに大人なところがあるなあと思いました。

そしてそして、全体的にやっぱり素晴らしいなあって思ったのは、風景の描写。郊外を西に向かって貫く大きな道路のわきの歩道や、川沿いの道。東京の郊外だけが持つ、谷間のような隙間のような、それでいてどこかほのぼのとしている、なんてことない場所。少し埃っぽい風だったり、強すぎない日差しだったり、やけに抜けのいい空だったりが、まるで自分までそこを歩いてきたかのように、映画館を出ても心の中にある。日向ぼっこのあとに背中に残る熱みたいに。

それって、この映画を作った人たちが、麦と絹の5年間のことを本当に大切に思っていて、それがこぼれ落ちてしまわぬように大事に大事に作り上げてきたってことの証だと私は思いました。すごく熱があるなあ、愛があるなあって。

そこに改めて気がつき、ひとつ思い直したこともあります。1つめのnoteで「恋愛映画というデコレーション」という表現を用いましたが、やはりその言い方はちがうのかもしれません。まぶしいほどの恋愛映画であることと、前代未聞の技巧が見事に織り込まれている映画であることは両立し得ます。というか、両立していることこそが、ますますもって前代未聞なのだと思います。

確かに惹かれ合い、確かに恋に落ちて、「じゃあ、一緒に住もうよ」で始まったふたりの生活は、どうしてかすれ違い、どうしてか心が離れていく、そしてどうすることもできないという混沌に飲み込まれていきました。そんなふうに確かなものが曖昧になっていく、それを描くことの難しさを思うとあっけにとられてしまうほどです。(どうしてか恋に落ち、決定的な理由があって別れる…というほうがずっとわかりやすく描けるもの)

曖昧を差し出し、鑑賞者に委ねるという手法であること。しかもそれがあまりにも自然で、気付かせないレベルで巧みであること。その点についても、2回目でまちがいないなと確信して観ることができました。

……3回目、あるかも?その前にシナリオブックを読みたい。あ、2回目鑑賞のあとに満を持してパンフレットを読みました。坂元裕二さんのインタビューがすごくすごくよかったので、ぜひそれぞれのタイミングで読まれることをおすすめします。最後に、自分が今後の創作において何度もふりかえることとなるであろうこの6日間を与えてくれた映画『花束みたいな恋をした』と、脚本の坂元裕二さんに最大限の感謝とリスペクトを表明して筆を置くこととします。

無料で「作者近況」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら